Home > ファインのコラム トップ > 電車の中で聖教新聞を読むという行為

電車の中で聖教新聞を読むという行為

私は地下鉄で大手町まで通っている。 
私の乗っている地下鉄は、大手町、霞ヶ関、国会議事堂前、
赤坂、表参道と、日本の要を通り抜ける地下鉄だが、
この電車で通うようになってから、気がついたことがある。 
「この電車には、
車内で聖教新聞を読んでいる人が多い」


車内で聖教新聞を読むということは、車内でたまたま
一緒になった他人に学会宣言するようなものである。 
万が一、同僚などと居合わせてしまったら、その同僚に
学会員であることがバレてしまうだろう。 しかし、
男子部っぽい感じの若者から、いかにも重役という感じの
年配者、OLっぽい感じの女性、キャリアウーマンっぽい感じの
女性まで、聖教新聞を読んでいる人が多い。 
JRで通った10年のうち、聖教新聞を読んでいる人を
見かけたのは、2〜3人だろうか。 ところが地下鉄で通うように
なって3ヶ月、週に一度以上は聖教新聞を読んでいる人を見かける。 
「おっ、また読んでいる人がいる。 」と、のぞき込むように
すると、こころなしか隠すように新聞を小さくしたり、
大きな見出しが見えないようにうまく工夫したりする。 
私もそうだが。 

車内で聖教新聞を読むということは、日々、先生の指導や
体験談、教学をしっかり吸収して一日をスタートしたいという、
かなり前向きな姿勢のあらわれと見ることができる。 
この人たちは、自分の信仰は正しい、聖教新聞をしっかり
読んでいこう、という意志があるだけのことである。 
しかし皆、コソコソとまでは言わないが、おおっぴらに日経を
開いて読んでいる迷惑なお父さんとは比にならないくらい、
おとなしく読んでいる。 車内とはいえ、学会員としてその名に
恥じない行動をと心がけているのだ。 そして、聖教新聞だと
分かってしまうことを恐れる心もちょっとあったりして.....。 

↓質問サイトにこんな記事がある。 
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1032147480
いかにも恣意的でバカバカしい質問と答えである。  
「近づかない」とはどういう事か。 

たとえば、私が車内で近づきたくない人と言えば、「強烈なオヤジ臭」 
「強烈なワキガ」 「不潔な服」 「口を開けてガムをかんでいる」 
「ipodの音の量がデカすぎる」 「独り言を言っている(叫んでいる)」 
「口から汚物が出ている」 といったところだろうか。 
電車でたまたま近くに寄った他人に聖教啓蒙するなどという話は
聞いたことがない。 私だったら、隣でサラリーマンが赤旗を
読んでいてもぜんぜん平気であるが、この質問者と回答者は
近くによるだけで洗脳されると思っているらしい。 
まったく非科学的だし、そもそも、君たちはそこまで自我が弱いのか
と問いたくなる。 

このような記事からは、「学会員は非常識である」という
ステレオタイプを不特定多数の読者に押しつけようという意図が
伺える。 いちいちそんな記事を相手にするなと言われそうだが、
正論は正論として、しっかり残しておくべきだと思う。

官民の要所が集まる日本の要を通る電車で、聖教新聞を読む人が
多いということは、そういう職場に学会員がよく馴染んでいることの
証左だ。 よく、政治や大企業の要職に学会員が入り込み、
日本を乗っ取ろうとしているというような妄想を抱いている者がいるようだが、
私も含め、そもそも大手町なんぞに来る予定でも希望でもなく、
職場で認められ、必要とされ、結果的にこのような境涯になって
いったのだ。 日々の職務の遂行に忙しい。 
日本を乗っ取るなどという野心を抱くようなヒマはない。
はっきり言って、マジで忙しい。 

↓同じく大変恣意的
http://yasai.2ch.net/koumei/kako/994/994918790.html

創価学会が日本を乗っ取る可能性と、鳩山政権が日本を没落させる
可能性と、どちらが現実的か、考えてみた方がよいと思うが。 

2009/11/04

←前の記事  次の記事→

Home > ファインのコラム トップ > 電車の中で聖教新聞を読むという行為
inserted by FC2 system