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振り回される人、振り回す人

物事や人に「振り回されない」ということは、その人が
幸・不幸を実感する上でとても大切な要素となる。

なぜ日本人はこうも不幸なのか?
その原因はまさに 「振り回されやすい」 という
宿業に依拠している。 どういうことか?

「振り回されてしまう」ということは、
振り回しているその主体と、振り回される者との間に
なんらかの依存的な結びつきがあるからである。
この 『依存』 してしまうという性質こそ、
日本人に強く見られる傾向性であると思う。

このことは会社とか学校とかでも顕著に見られる。
いつも代返してくれるヤツ、ノートをコピーさせてくれるヤツ、
頼んだことをきっちりこなしてくれる部下や
生活を保障してくれる会社等々、立場の上下見境なく、
依存の網目が張り巡らされている。
ここまでは、現代の世界の構造として、別に不思議ではない。
問題はここからだ。

依存されているモノや人が、なんらかの事情で、
依存している人の期待にそぐえなかった時、
依存していた人間はどんな行動をとるか。
日本人の場合、「恨む」 という面倒な性格が顔を出しやすい。
さんざん依存しておきながら、いざ依存できなくなると、
とたんに恨む。

去年から今年にかけて、われわれは国家の単位でこの
「依存し」-「裏切られ」-「恨む」というサイクルを見た。
民主党に期待するという行動は、結局、「政治に何とかしてもらおう」
という依存の表現に他ならない。しかしいざ、民主党に勝利を与え、
ハト山が期待通りの動きができないと知るや、たちまち「恨む」。
「投票してやったのに」とか、「せっかく政権交代を実現してやったのに」
という調子である。そして忘れてならないのは、
最後の「恨む」という行動が、即、次の「依存」へと
つながっているという事だ。この循環は確実に国をダメにする。
これが末法というものである

このサイクルを断ち切るには、この悪循環の最初に
自分たちの「依存」があることへの「気付き」が必要である。
政治を「手段」として用いるものの、個々人の努力と他人への配慮が
最も大事なのだということに気付かなければならない。
そして、我々にもそれが可能なのだと気付き、信じるとき、
悪循環が断ち切られ、健全な国家への一歩が踏み出される。
これが人間革命というものではないか?

ご本尊に対する我々の思いは「依存」ではなく「信」である。
なにを信じるのか? 人間の可能性である。
「信じる」ことと「依存する(すがる、頼る)」ことの区別が
つかないうちは、このことを理解するのはなかなか難しい。
それは対話と啓蒙によって一つ一つ成し遂げられなければならない。

2010/09/20

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