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正義とは何か、正しさとは何か

 「正しさ」 とは、ある特定の理想状態を作り出す
ことであるより、多様で自由な諸関係から生じる
諸矛盾や諸問題をうまく調停し、つねに多くの人間が
納得できるような、より合理的で公正な関係のあり方を
作り出してゆく努力
、ということである。
 こうして、各人の多様な価値観の承認が前提となる
かぎり、ある絶対的な価値観や世界観を「正しさ」の
特定の内実とすることはできなくなる。
 一人の人間の「本質」は、単に彼がどんな境遇、
どんな身分、どんな意見を持った人間か、ではなく、
どのように自分を表現するか
、という点に現れる。
彼が自分の問題をどのような仕方でもち、これを
どのように語り、どのように対処し、行動するか、
その「仕方」が彼という人間の「内実」なのである。
 

          竹田青嗣 『哲学ってなんだ』


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尊敬する竹田青嗣先生の、最も好きな言葉の一つである。

われわれは、何が正しいかを知っている、というよりも、
正しい宗教がどのようなものかを知っている。
永遠のテーマとも考えられがちな問題に対して、「正解」を
知っているとは学会員でない人たちから見れば、甚だ不愉快な
ことであろう。そういうとき、われわれは、敢えて自分の
知っている答えをバーンと強引に叩きつけるわけにはいかない。
正しき哲学を持っているがゆえに放つ光彩や、
正しき哲学を持っているがゆえに示せる実証を通じて、
正しい答えの何たるかを、周りの人達も納得してゆく、
というふうでなければならないと思う。

私は学会員としても、「これが正しい」という答えに
コミットしたくない
。コミットは、極限に達したと同時に、
変化が終了したことを意味する。変化の終了は、
つまり成長の停止だ。
正しい答えを知っていても、学び続けなければならない。
「じっとこらえて今に見ろ」の精神で努力し続けなければ
ならない。惰性と慢心は、我々が想像しているよりも
ずっと進行が早い
ことを知るべきである。
そうした努力の過程の中に、充実と、納得が存在している。
「正しさ」とは、その目まぐるしい回転の中にようやく
朧気に見出される動的なものであり、静的な「正しさ」に
コミットし、惰性と慢心に身を任せてしまっては、
何のための正しさか、まったくわからなくなってしまう。

走るのをやめてはならない。
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2011/10/05

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