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ネット学会活動からの卒業

●はじめに●

    私がこのホームページの更新を停止するにあたり、「学会のため」・「活動のため」と銘打ってスタートした、 いわゆる学会系ホームページ、学会系ブログが、いずれ学会のご迷惑となり、活動を邪魔し、自らを退転に追い込むきっかけとなってしまう 可能性について書き残すべきだと思い、このコラムを遺します。
    ファイン庵の跡地を訪れた方が、ネット上での学会活動というものの落とし穴に気付き、 主軸を現実の学会活動に戻すきっかけとなれば幸いです。


●こんなHP、Blogはやめるべき●
 〜学会系ホームページ、ブログを始める前に〜


@新聞の抜き書きをマメにアップするなどのケース
  (「我が友へ贈る」などを毎日毎日アップしているものなど)
    ・広布につながらない
    ・感動や行動に結びつかないただの展示物になってしまう
    ・要するに新聞啓蒙を避けているだけと捉えられても仕方がない
    ・自己満足と惰性のうちに自然消滅する
    ・自己満足のために現実の唱題や活動がおろそかになっていくことに気付きにくい
    ・これらの記事を公開しただけで、広布に貢献したと錯誤するおそれがある
    ・上記の結果、惰性→休眠→退転となる
      ◆ Fine個人的には、思い切って新聞啓蒙すれば功徳になるのではないか、と思います。

A学会出版物の引用
  (御書、御書講義、大百、第三文明、潮、人間革命その他 からの引用が中心のケース)
    ・出版物に直に触れる感動には及びっこない
    ・外部の人は読んでも理解できないから感動しない
    ・内部の人は目を通すべき出版物が多くある状態の中で、これらのネット上の記事にとらわれている場合ではない
    ・これらの記事を公開しただけで、広布に貢献したと錯誤するおそれがある
    ・著作権侵害になる恐れが大きい (「出版社からの指摘がない=合法」と勘違いするおそれがある)
    ・違法行為のために現実の唱題や活動がおろそかになっていくことに気付きにくい
    ・上記の結果、惰性→休眠→退転となる
      ◆ Fine個人的には、大切な友人に書籍を贈呈したり、会合で引用すれば功徳になるのではないか、と思います。

B活動体験
  (地域や職場での体験を記事にするケース)
    ・ついつい、好意的に読んでくれる人だけを想定してしまう
    ・これらの記事を公開しただけで、広布に貢献したと錯誤するおそれがある
    ・冥益を軽んじ、顕益にだけ強く反応してしまいがちになる
    ・「いい話」を続けるために、試練と罰を嫌厭してしまいやすくなる
    ・ほとんどの読者からは「ヒマ人」とみなされる
    ・塵沙惑の罠にかかる(小果に執着する)
    ・記事を書いてばかりで、現実の「生活」や「活動」と向き合えなくなってくる
    ・大功徳は、そうそう起こるものではないため、十中八九は半年以上続かない
    ・「自分の」功徳に重点が置かれがちで、「師弟」や「世界」の視点が欠けがちになっていく
    ・記事更新のために現実の唱題や活動がおろそかになっていくことに気付きにくい
    ・上記の結果、惰性→受け身→休眠→退転となる。さらに、反逆のオマケがつくことも...
    ・功徳を展示物にしてしまう人には、次の功徳はないものと心得るべき
      ◆ Fine個人的には、大切な友人に話したり、会合で体験発表すれば功徳になるのではないか、と思います。

C学会の宣伝活動.1
  (学会の歴史記事、池田先生の軌跡を宣揚するケース)
    ・ネットで宣揚しても、広布にはつながらない
    ・ネットの宣揚が、真の弟子としてのあるべき姿であるといえるかはたいへん疑問
    ・個人が取りまとめできるほど、学会や先生の軌跡は浅薄ではない
    ・個人が取りまとめしなくてもSGIグラフ、人間革命などがある
    ・SGIグラフや人間革命からの引用が発生し、著作権侵害になる恐れが大きい
    ・これらの記事を公開しただけで、広布に貢献したと錯誤するおそれがある
    ・学会の広範で素晴らしい活動と、自分のちまちましたweb活動とのギャップに苦しむようになる
    ・上記の結果、惰性→休眠→退転となる。さらに、反逆のオマケがつくことも...
    ・個人による解説は、誤謬を含むおそれがある
      ◆ Fine個人的には、大切な友人に話したり、会合で紹介すれば功徳になるのではないか、と思います。

D学会の宣伝活動.2
  (語句の解説や教義の解説をするケース)
    ・法門全般を個人が取りまとめできるほど、仏法は浅薄ではない
    ・個人による解説は、誤謬を含むおそれがある
    ・微妙な言葉のニュアンスにより、読者の誤解を招くおそれがある
    ・アンチや日顕宗の輩との応酬合戦に発展する可能性がある
    ・応酬合戦が始まると非常に疲れ、それだけで手一杯になってしまう(アンチの思うツボにハマる)
    ・上記の場合、学会に貢献するどころか、多大な迷惑をかけることになる
    ・空理に沈み、現実の唱題や活動がおろそかになる
    ・ネット上で史料や情報を漁り回るうちに、アンチのもっともらしい記事に同調するようになってくる
    ・気がつけば自分もアンチ
    ・上記の結果、慢心→休眠→退転となる。さらに、反逆のオマケがつくことも...
      ◆ Fine個人的には、仏法を解説するのではなく、自分で実践すると功徳になるのではないか、と思います。

E掲示板を通した活動
  (掲示板を通じて、学会員向けのお悩み相談や質問窓口を展開するケース)
    ・ほとんどのケースの場合、仏法対話にならない
    ・ほとんどのケースの場合、広布につながらない
    ・ほとんどのケースの場合、指導ゴッコに終わる
    ・ほとんどのケースの場合、激励ゴッコ(慣れ合い)に終わる
    ・なにより無責任
    ・現実の指導よりも、ネット越しの無責任なアドバイスをあてにするようになる
    ・24時間書き込み可能なので、睡眠不足に起因する生活への影響が懸念される
    ・上記の理由から、ネット中毒の入り口となる恐れがある
    ・愚痴や悪口、組織批判の温床となり、閲覧する他の学会員の福運を奪うおそれがある
    ・悪影響が多い割に、現実の問題に対処する緒には殆どならない
    ・掲示板での居心地が良くなり、現実の活動から遠ざかる
    ・上記の結果、休眠→退転となる
      ◆ Fine個人的には、居心地の良い場所で何をしても功徳にはならないのではないか、と思います。



●HP、Blogの運用は肉体的および心理的体力を消耗します●
 〜学会系ホームページ、ブログを始める前に〜


HPやブログは、だれでも気軽に始められるというイメージがあります。 実際、費用は殆どかからず気軽に始められますが、いざ始めてしまうと、 軌道に乗った後もやることは非常に多く、行き届いた管理運用は、一般の社会生活を行っている人には非常に困難です。
以下にそのタスクをまとめてみましょう。

  ◆ すごく面倒な開設手続き
    ・ドメインの取得
    ・FTP接続環境の整備
    ・HPスペースへの登録
    ・Blogスペースへの登録等

  ◆ ダラダラやってしまう執筆(コーディング含む)
    ・htmlの習得
    ・記事の執筆
    ・記事の推敲
    ・ブログユーティリティの使用方法習得

  ◆ 時間をとられやすい設備追加
    ・カウンタ設置
    ・ブログパーツいじり
    ・掲示板設置
    ・サイトデザインいじり

  ◆ ものすごく面倒な運用
    ・SEO対策
    ・サイトマップ更新維持
    ・アクセス管理
    ・リンク集の更新
    ・コメント管理
    ・掲示板管理

  ◆ 果てしなく続く読者対応
    ・コメントへの対応
    ・アンチコメントへの対応
    ・トラックバックへの対応
    ・スレッドでの応酬への対応
    ・メールでの対応
    ・場合によってはオフ会など

   これらの維持運用のための活動は、ほとんど毎日発生することになります。 勤行や食事をするのと同じような意識レベルでこれらと向き合うことになり、 いずれ、勤行や会合参加よりも優先されていくようになります。 自分や他人のケースを見ても、ほとんどのケースでそうなります。  気をつけていても、まず間違いなくそうなると言ってよいです。
   さらに、これらのネットでの活動を地域の人に話したりしようものなら、最初はもてはやされるでしょうが、いずれ、ネットと実際の活動の 言行の間に現れる乖離に悩むことになります。乖離が深刻になり、気まずさが増してくると、ついには地域の会員さんたちに顔向けできないような状況にまでなります。
   それでもHPやブログを閉鎖するところまで勇気が振り絞れなくなったりすると、そのまま退転への一途を辿ることになります。  そしていずれ、ネット上で知り合った退転者やアンチと付和雷同し、福運を失い、ネット上からもフェードアウトし、孤独な死を迎えることになるかもしれません。
   これが、多くのケースに見られる「慢心→惰性→休眠→退転→反逆」というロードマップの実際です。




●学会系HP、Blogの運用に疑問を持ってみよう●
 〜学会系HP、Blogの運用に手一杯の方へ〜


   すでに始めてしまっている人は、「ネット」という現実から乖離した空間での自分の行動パターンについて自己分析し、 ネットから「引退する」チャンスを伺いましょう。

チェックすべき点(例)

@ブログ(FaceBook、twitter含む)の更新に1日あたり30分間以上かかっていないか
      → そんな時間があったら唱題した方がいいんじゃないの?

Aブログを(FaceBook、twitter含む)毎日追加更新しなければならないという義務感が生じていないか
      → 毎日? 活動者会や座談会、週次の部会や唱題会を欠席してまでやってんの?
         そんなものを自分に課しても、福運になりません。


B自分で書いた記事中に、しばしば誤植や落丁がないか
      → 物書きに向きません。家庭訪問や友人との対話を通じて「口で」語りましょう。
         誤植が多いと推敲に時間がかかり、他の活動に割くべき時間を圧迫します。


Cしばしば長文になっていないか
      → 言いたいことを簡潔に表現できない人は、物書きに向きません。 (このHPのように...)
         また、長文は本当に読んで欲しい人に限って全く読んでくれません。 骨折り損です。


Dコメントやメールが来ると、ドキドキしてないか
      → web上のやりとりは対話のうちに入りません。
         そんなことでドキドキしても、これっぽっちの功徳もありません。


Eコメントやメールへ返信する文章を四六時中考えていないか
      → もう立派なネット依存症です。 今すぐ足を洗うべきです。

Fブログ(FaceBook、twitter含む)を始めてから、就寝時間が20分以上遅くなった
      → もう立派なネット依存症です。 
         生活が破壊されるまで、わずかの時間しか残されていません。 今すぐ足を洗うべきです。




●学会系HP、Blogを読む際の注意●
 〜読者の側が意識すべきこと〜


      読む側もネット依存症に引きこまれます
 読む側の心構えとして、次のポイントを意識すると良いと思います。

    □ それはネットじゃないと見れない情報なのか?
    □ 公式HPで確認できることを、個人HPをあてに探していないか?
    □ 気が付くと、記事を読むことにかなりの労力を割いていないか?
    □ ネットに目を通す集中力があれば、もっと唱題できたんじゃないか?
    □ 大百もまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ 聖教新聞もまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ 人間革命もまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ 潮もまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ 第三文明もまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ SGIグラフもまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ 公明新聞もまともに読んでいないうちに、ネットの記事に現を抜かしていて良いのか?
    □ ブログ主へのコメントは、あなたの地域の部員さんの激励よりも重要か?
    □ その情報や文章は、本当に自分にとって必要な物なのか? えっ!? 御書や先生の指導よりも!?



はい。 終わりです。 いつまで画面に食い入ってるのですか?

ブラウザを落として唱題し、その勢いで家庭訪問へ Let's Go!



2013.12.31

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