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人生は生涯、建設である。 建設が失われた人生は敗北である。 池田大作 -------------------------------------------------------------- 「建設しよう」と意気込み、建設の計画を立てて、 完成形の青写真を描きながらの建設は、 どんなに楽しいだろう。 しかし現実はそうではない。計画的な自己練磨は、 ある意味、惰性につながりやすいといえる。。 「計画をたてる」ということをした時点で、 自分の限界を越えてしまわないようにバイアスが かかるので、成長のスピードはある程度限られる。 しかし、命の危機とか、生活の危機のような、 切羽詰った状況の中では、心理的に落ち着かない 日々が続くものの、確実な進歩がある。 その渦中では、とても「成長」どころではない、 あるいは絶望の淵の哀れさでいっぱいだっとしても、 それは必ず自分の血肉になるのだ。 なぜそう言い切れるのか。 僕自身、去年がまさにそうだったからだ。 去年− 難を乗り越えるとか、立ち向かうどころではなかった。 ただ、嵐が過ぎるのを待つしかないという状態。 己の力量不足が情けなかったが、 どんなに頑張っても、どうにもならなかった。 ただただ、無為にやり過ごすだけの毎日。 ひたすら辛かった。 半年が10年にも感じられた。 しかし、次第に状況は変わる。 自分にも貢献できることが見つかり、 自分にしかできないことも任されるように。 周囲は一人また一人と諸天善神に変わっていった。 難問が多いが、一つ一つ問題を解決するたび、 短時間でみるみるスキルが養われた。 「建設」の現実は、嵐の中にある。 必要にかられて(慌てて)、 鉄骨なのか壁なのかもよく判らんうちに なだれ込んでくる情報を、一つ一つ瞬時に選別して、 ペタペタと肉付けせざるを得ないこともある。 しかし最近は、そんなことも楽しめるようになった。 スッチャカメッチャカであっても、建設は可能、 そのほうが早いとわかったから、 今ではそれを楽しんですらいる。 -------------------------------------------------------------- 2011/07/08 |
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