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小説 『人間革命』 の内容とポイント


もっと簡略化した一覧は →  各章ごとのポイント     各巻ごとのポイント

 (第1巻)

  『黎明』
  S20 (1945) .7.3
     戸田先生が豊多摩刑務所から保釈出所
  出獄後、刑務所から家までの道すがら(中野〜白金)
 (第1巻)

  『再建』
  S20 (1945) .7.4
     戸田先生は渋谷へ。残務整理担当の弁護士から事業の現状をきく
  S20 (1945) .7.6
     戸田先生は旧友の小沢をたずねて水道橋へ。5000円を都合してもらう
  戸田先生と旧友・小沢の苦学時代
  古島雄一の家を訪れ、終戦まであと何ヶ月ほどかを確かめる
 (第1巻)

  『終戦前後』
  負け戦を続けた日本政府と軍部の愚策・無為無策
  S20 (1945) .8.15
     事業上の友人である栗川が戸田先生宅を訪れ、終戦を伝える
  終戦直後の極右翼の行動、思想の恐ろしさ
  S20 (1945) .8.20
     栗川に借りた目黒の事務所で、日本正学館の業務がスタート
  S20 (1945) .8.23
     朝日新聞に日本正学館の広告掲載 数日後には一日の契約数が450を超え、すき焼き
 (第1巻)

  『占領』
  S20 (1945) .8.30
     マッカーサー進駐開始
  マッカーサーについて
  S20 (1945) .10.10
     治安維持法廃止 戸田先生は保釈の身から自由の身へ
  終戦直後の日本政府のだらしなさ
 (第1巻)

  『一人立つ』
  S20 (1945) .10.初旬
     日本正学館事務所を、目黒から西神田へ移転
  創価教育学会の名称を「創価学会」とあらためる
  西神田の事務所を訪ねてくる戦前からの学会員たち、戦前からの仕事仲間たち
  S20 (1945) .7.5 (回想)
     中野の日蓮正宗歓喜寮へ 堀米尊師と再開
  S20 (1945) .11.18
     牧口初代会長一周忌
  獄中での牧口先生の最後の闘争
  牧口先生の投獄前の闘争
 (第1巻)

  『千里の道』
  神について、諸天善神について
  S20 (1945) .12.15
     GHQより、国家と神道の分離令
  国家神道と政教一致について
  S21 (1946) .1.1
     戸田先生、岩森、北川、藤崎が大石寺登山 4人で法華経講義をスタート
  戦中・戦後の大石寺の惨状
  妙法と生命について
  S21 (1946) .1.2
     御宝蔵で御開扉を受ける
  S21 (1946) .1.2夕方
     4名の登山に、本田洋一郎、清原かつ、泉田ためが合流
  S21 (1946) .1.5
     大石寺から下山
  S20(1945)年6月17日の客殿焼失について
 (第1巻)

  『胎動』
  S21 (1946) .1.1
     天皇の人間宣言
  息子・恭一の上京
  続く法華経講義
  ひどいインフレと預金封鎖
  日本正学館の出版事業と紙の調達
  S21 (1946) .3.28
     法華経講義第一期終了
  S21 (1946) .4.12
     清原かつの懇願で、法華経講義第二期を開始
  清原かつと小西武雄の再会
  S21 (1946) .4.19
     参加メンバーを刷新した法華経講義第二期の第三回目の講義
 (第1巻)

  『歯車』
  価値論について
  S21 (1946) .5.1
     第1回幹部会 同志の歌を合唱
  S21 (1946) .5.22
     第2回幹部会 理事室が7名体勢に 『価値創造』を復刊
  S21 (1946) .6〜7
     青年部と婦人部が組織としての活動を再開
  座談会での、戸田先生の折伏
  S20 (1945) .12.28
     宗教法人法施行
  戦後の新興宗教 (霊友会、立正佼成会等)
  S21 (1946) .8.7〜10
     大石寺で第1回夏期講習会
  日興上人による大石寺建立
 (第2巻)

  『幾山河』
  S21 (1946) .9.22
     那須で地方折伏
  戦後の困難な電車での移動について
  厚田の戸田少年
  地方折伏での講演と質問会、増田宅での折伏
  増田政子の上京願望と結婚願望
  S21 (1946) .9.23
     桐生地方折伏
 (第2巻)

  『序曲』
  S21 (1946) .11.3
     日本国憲法公布
  平和憲法について
  S21 (1946) .11.17
     牧口先生の第三回忌法要 (神田教育会館)
  不世出の大学匠・第59代法主・堀日亨猊下について
  S21 (1946) .11.17
     上記法要の後、第1回創価学会総会 多くの体験発表と、戸田先生の指導「罰と功徳」
 (第2巻)

  『光と影』
  S21 (1946) .11.15
     大石寺第63世法主日満から第64世法主日昇へ血脈相承
  日蓮大聖人から日興上人への血脈相承
  大石寺の戦後再建
  S20 (1945) .8.21に起きた、樺太の開法寺の悲劇
  戸田先生の「座談会」
  戦後の宗教政策
  S22 (1947) .1.1
     大石寺登山 39名
  労働者の中から生じたストライキと生産管理の成果
  社会改革と信心活動
  S22の正月の吉田首相の発言
  S22.2.1のゼネストに向けた社会の動き、そして中止命令
 (第2巻)

  『前哨戦』
  S22(1946)年にあった、S教団への乗り込み破折
 (第2巻)

  『地湧』
  GHQによる教育改革 6.3.3制度のスタート
  保守分裂と政治の混乱、食糧難
  S22 (1947) .8.14
     山本伸一が座談会に途中参加、「地湧」を詠む
  戸田先生に対する山本伸一の質問
     @正しい人生とは何か?
     A本当の愛国者とは?
     B南無妙法蓮華経とは?
     C天皇をどのように考えるか?
  S22 (1947) .8.24
     山本伸一が入信
  戸田先生の真谷地(夕張)での教師生活と上京、牧口先生との出会い
 (第2巻)

  『車軸』
  S22の食糧難と住宅難
  組織と自界叛逆難について
  S22 (1947) .10.19
     創価学会第2回総会
  惰性について
  法論と公場対決
  迹門の広宣流布について
  教団の建物について
 (第3巻)

  『新生』
  S23 (1948) .1.1
     日本正学館で年始勤行
  惰性について
  正月について (十字御書を通して)
  笹井きぬへの戸田先生の指導
  山川夫婦への戸田先生の指導 (日本一の貧乏)
 (第3巻)

  『渦中』
  S23年頃の出版事情、紙の入手の困難さ
  月刊誌『冒険少年』『ルビー』
  戸田先生の引き受けた債務
  牧口先生の逮捕、監獄での生活、逝去
     S18 (1943) .7.6    牧口先生逮捕される
     S18 (1943) .7.8    牧口先生、下田署から警視庁へ移送
     S19 (1944) .11.18    牧口先生が巣鴨拘置所で死去
  牧口先生の国家諌暁
  鬼子母神を拝む本田とみの信仰体験
     破折されてもなお入信せずドン底へ、そして入信、戸田先生との出会い、人間革命した姿
  革命と大衆
 (第3巻)

  『群像』
  泉田弘の生い立ちと入信、出征、戦後
  清原かつの悩み
  戦前、戦後の教員の生活
  清原かつが折伏した大島英子の家庭の悩み
  清原、入江、大島「杉並の三本杉」と組合幹部との職員会議
  将来の中核幹部が各地で入信、活動を開始
  山本伸一の体調と活動状況
 (第3巻)

  『漣』
  S23 (1948) .6.26
     青年部の座談会で、旧青年部の解散と新青年部の結成を決議
  御仏意の組織について
  S23 (1948) .7.3
     新青年部結成大会
  S23 (1948) .8.13〜17
     第3回夏期講習会 188名が参加
  集うことの意味について
  巨悪、社会悪、悪徳政治家に対する捉え方
  学会の青年部で組織する政党について
  芦田内閣と昭電事件
  山本伸一の日記 「革命は死なり」 の決意
  アメリカの極東対策と対日占領政策の転換
 (第3巻)

  『結実』
  山本伸一の日本正学館面接
  S23 (1948) .12.31
     山本伸一が城南工業会を円満退職
  S24 (1949) .1.2
     山本伸一、日本正学館に初出社
  S23 (1948) .10.17
     創価学会第3回総会
  体験談について
  民主主義と折伏
  僧侶と在家
  第3回総会での戸田先生講演 「民族復興の道」
  幹部の世代交代について (戦前からの信者と若い幹部)
  S23 (1948) .11.12
     客殿六壷復興落慶法要> (大石寺)
  S22 (1947) .7.21 (回想)
     大石寺での講頭会で、ある講頭から、維持費を出し甲斐のあるように決算報告しろとの発言
  浄財としての供養の考え方
 (第3巻)

  『宣告』
  S21 (1946) .5.3 (回想)
     極東軍事裁判開廷
  S23 (1948) .11.12
     極東軍事裁判閉廷
  東京裁判について
  B・C級戦犯について
  日本軍の残虐行為について (南京大虐殺など)
  パール判事について
  ユネスコ憲章について
  人間の心と生命について
  S23 (1948) .12.23
     東京裁判判決に基づく死刑執行
 (第3巻)

  『道程』
  S24 (1949) .2.下旬
     森川幸二の地元座談会
  森川幸二の長男・正一について
  森川幸二の組合解雇と、家族で始めた外食券食堂
  信心さえあれば、ことごとく功徳、信心なくして疑えば、すべて罰
 (第4巻)

  『生命の庭』
  戸田先生の独房での悟りと無量義経の12行の偈、法華経の真理
  生命とは何か
  機関紙「価値創造」から「大百蓮華」へ
  戸田先生の生命論とデカルトの方法序説
  デカルトについて
  大百蓮華の創刊 (S24年)
 (第4巻)

  『時流』
  占領政策の転換とドッジ・ライン
  幹部に対する戸田先生の指導
  S24 (1949) .7.12
     小岩の座談会で朝鮮人の金木が現れ、座を乱す
  自由新聞協会 (在日朝鮮人団体) を巡る騒動の顛末
 (第4巻)

  『波紋』
  S24年当時の食糧事情
  ドッジ・プランと経済9原則の影響
  東光建設信用組合の発足
  経済9原則の強行に伴う大量解雇と定員法
  国鉄に絡む3つの怪事件
  S24 (1949) .10.18
     牧口先生の6回忌法要
  S24 (1949) .10.23
     創価学会第4回総会
  S24 (1949) .10.25
     日本正学館の財務的な打撃と一切休刊について戸田先生から社員に告げられる
  S24 (1949) .10.27
     第一回総合座談会を、滅多に見ることができなくなった戸田先生の指導を求めて開催
  少年日本の編集責任者として、休刊を告げられた山本伸一の思い
 (第4巻)

  『疾風』
  戦争放棄と正当防衛について
  核の脅威と安全保障について
  ダモクレスの剣の逸話
  核戦争の防止と各国の指導者間対話
  核戦力と魔の作用
  王仏冥合について
  戸田先生の事業の苦境と創価学会理事長としての活動
  山本伸一青年の生活状況
  S25 (1950) .6.25
     朝鮮戦争勃発
  朝鮮戦争について
 (第4巻)

  『怒濤』
  S25 (1950) .8.23
     東光建設信用組合に対し営業停止処分
  東光建設信用組合営業停止までの経緯
  S25 (1950) .8.24
     T新聞社の記者と戸田先生の会見
  聖教新聞の構想 (S26 (1951) .4.20 創刊)
  S25 (1950) .8.24
     戸田先生が創価学会理事長を辞任、後任に三島由造
  特需景気
 (第4巻)

  『秋霜』
  学会員の債権者から広がる猜疑
  山本伸一青年の和歌と、戸田先生の返歌2首
  伊豆の債権者が起こした脱会・講結成騒動とその晩年
  木場の木材屋堀部が起こした脱会・講結成騒動とその後
  S25 (1950) .10
     戸田先生の御宝蔵の前での懺悔
      @摩訶止観の論を借りた法華経講義を行なってきたこと
      A会長就任を避けてきたこと
      B経済的基盤の確立を急ぎ、組織体としての躍進を二義的に考えたこと
  戸田先生の窮迫を知った会員の真心からの見舞金
  S25 (1950) .11.12
     牧口先生7回忌法要、創価学会第5回総会
  S25 (1950) 暮れ
     戸田先生と山本伸一の2人きりで苦闘をともに分かつ日々
  大世学院(富士短期大学)と高田勇道
  戸田大学
 (第5巻)

  『烈日』
  「創価学会」の発足
  S26 (1951) .5.3
     戸田先生の会長推戴式 (日蓮正宗久遠山常泉寺(江東区))
  日蓮正宗久遠山常泉寺について
  戸田先生の会長就任数カ月前からの決意と青年の育成
  革命家の生涯を学ぶテキストとしての『永遠の都』
  冬は必ず春となる
  S26 (1951) .2.初旬 (回想)
     獄中の再現
  S26 (1951) .2 (回想)
     大蔵省から、組合を解散しても良いとする内容が伝わる
  S26 (1951) .3.11
     東光建設信用組合解散登記
  S26 (1951) .3.17
     聖教新聞創刊についての最初の企画会
  S26 (1951) .3.21
     聖教新聞創刊に向けた第1回編集会議
  聖教新聞創刊に向けた活動
  S26 (1951) .4.20
     聖教新聞創刊
  S26 (1951) .4.6
     臨時支部長会で現行の支部の改廃を決定
  戸田会長推戴賛意名簿について
  ご本尊を独占物にしようとする僧侶への戒め
  75万世帯折伏への宣言
 (第5巻)

  『随喜』
  S26 (1951) .5.12
     創価学会常住御本尊下賜請願書を起こす
  S26 (1951) .5.20
     大石寺にて広宣流布大願成就の御本尊下げ渡し
  S26 (1951) .5.22
     臨時総会で創価学会常住御本尊奉戴式
  S26 (1951) .6.10
     本部婦人委員会発足
  日蓮大聖人御書全集発刊の構想
  S26 (1951) .7.8
     戸田先生と講義部の最高幹部が静岡県畑毛にある堀日亨御隠尊猊下の書院を訪れ、御書編纂についての打ち合わせを行う
  S26 (1951) .7.11
     男子青年部の部隊結成式
     「この中から第三代の会長があらわれるだろう」
  S26 (1951) .1.6 (回想)
     山本伸一が戸田先生の自宅に呼ばれ、「出頭の後、万が一のことがあったら学会も事業も家族も一切任せるので引き受けてくれないか」と言われる
  S26年1月以来の山本伸一と、戸田先生と、事業を巡る動き
  S26 (1951) .7.19
     女子青年部の部隊結成式
  S26 (1951) .7.22
     創価学会臨時総会 (東京家政学院講堂)
  新刊の御書について
  S26 (1951) .7.23
     堀日亨御隠尊猊下と御書編集の打ち合わせ
  堀日亨御隠尊猊下の教学研究
 (第5巻)

  『戦争と講和』
  朝鮮戦争の戦況と大国の論理、「大軍」の情報に踊った米軍ついて
  ソ連と中国を除外した日米単独講和
  平和条約と安保条約
 (第5巻)

  『前三後一』
  S26 (1951) .8.3〜7
     夏期講習会 (914名参加)
  折伏の親について、善知識について
  S26 (1951) .9.1
     講義部あらため教学部とし、課程を1〜5級とする
  雁(かりがね)行進について
  青年訓 (班長に告ぐ)
  S26 (1951) .9.28
     青年訓発表
  青年部各部隊の特徴と部隊長
  十条潔について
  十条潔の入会、折伏、夏期講習会、座談会、勤行、疑問、班長任命、仕事、戸田先生の指導、部隊長任命
  この頃の折伏世帯数
     S26.6月 440世帯  、  7月 735世帯  、  8月 646世帯   、  9月 798世帯  、  10月 750世帯
  S26 (1951) .11.4
     創価学会第6回総会
  S26 (1951) .11.11
     宗教法人「創価学会」を公告
  日蓮正宗の信徒団体として、日蓮正宗とは別個に法人格を持った創価学会について
  第6回総会での、山本伸一の決意発表 (青年訓への応え)
  学会の言論戦と出版活動
  S26 (1951) .12.31〜S27 (1952) .1.1
     青年部登山、討論会「本尊流布から戒壇建立までの推移と、それに対する覚悟について」
 (第5巻)

  『驀進』
  S27 (1952) .1.1
     立宗700年の元旦
  勤行の姿勢について
  S27 (1952) .1.30
     支部長会で戸田先生より雁(かりがね)行進の打ち切りを発表、組単位の驀進を指示
  この頃の折伏世帯数
     S27.1月 635世帯  、  2月 836世帯
  春木征一郎の退転と復帰、大阪支部長就任
  S27 (1952) .2.10
     泉田弘が学会初の総支部長として江東総支部長に就任
  S27 (1952) .2.17
     第1回男女合同青年部研究発表会
  地球民族主義の理念について
  S27 (1952) .2.9
     参謀部設置
 (第5巻)

  『布石』
  仙台の仏眼寺と飛び曼荼羅
  大正時代に起きた、仏眼寺と要法寺の明け渡し事件と20年間の闘争
  仙台支部を中心とした東北広布
  お守り御本尊を紛失してしまった仙台の井鈴と十人前の信心
  S27 (1952) .4.7
     春季総会 (中央大学講堂)
  牧口先生と戸田先生の家族
  支部旗、部隊旗の授与
  御書出版作業の総仕上げ
 (第6巻)

  『七百年祭』
  S27 (1952) .4.24〜28
     宗旨建立700年記念慶祝大法会(24,25日は法華講2500名、27,28日は創価学会4000名)
  日蓮大聖人の生い立ちと立宗宣言
  荘園、僧兵、源平合戦、厭世思想、念仏、末法
  四箇の格言について
  大聖人が受けた迫害、弟子たち
  宗旨建立700年記念慶祝大法会での御開扉
  笠原慈行の神本仏迹論
  笠原慈行との法論の準備
  狸祭り事件とその後の笠原慈行の豹変ぶり
  狸祭り事件を報じた読売新聞の誤報
 (第6巻)

  『推移』
  S27 (1952) .5.1
     血のメーデー事件
  提出された破防法と、一波、二波に渡って行われたストライキ
  S27 (1952) .5.3
     山本伸一、春木峯子の結婚式
  山本伸一と春木峯子の馴れ初め
  S27 (1952) .5.18
     参謀部設置
  笠原慈行が4月27日に書いた謝罪状を反古にしたパンフレットを発行
  笠原慈行の神本仏迹論の邪義
  戦前・戦中の笠原慈行の暗躍と、昭和16年3月10日の僧俗護法会議
  S27 (1952) .6.1
     「神本仏迹論を破す」を発表
  S27 (1952) .6.10
     戸田先生より、笠原慈行に対する闘争宣言
 (第6巻)

  『余燼』
  S27 (1952) .6.26〜29
     大石寺臨時総会 狸祭り事件の処理について議論
  S27 (1952) .6.28
     大石寺臨時総会の席上、戸田先生の総講頭罷免と登山停止の決議文が読み上げられる
  S27 (1952) .7.6
     創価学会より宗門へ、大石寺臨時総会での決議文取り消しの要求書を提出
  S27 (1952) .7.7
     品川の妙光寺で、住職と学会首脳による話し合い
  S27 (1952) .7.8
     創価学会臨時幹部会
  日本の古代からの神とシャーマニズム、卑弥呼、天皇、国家神道について
  神仏習合、神本仏迹論、儒家神道(神儒習合)、祭政一致、排仏運動について
  S27 (1952) .7.11
     白蓮院で山本伸一を含む学会幹部3名と住職の会見
  学会側が住職の理解を得るまでの議論のやり取り
  S27 (1952) .7.24
     大石寺宗務院から、学会に対する処分を謝罪のみとする趣旨の連絡
  S27 (1952) .7.30
     学会側からの謝罪状で、五重塔修復を請願
 (第6巻)

  『離陸』
  S27 (1952) .8.1
     夏期講習会 1,500名が参加
  S27 (1952) .8.8〜25
     初の本格的な地方折伏 (大阪、名古屋、九州)
  S27 (1952) .9.2
     国家警察本部富士地区が、笠原慈行の告訴により静岡県の吉原署に泉田を留置
  S27 (1952) .9.3
     戸田先生が、泉田が留置された静岡県の吉原署に出頭し、そのまま留置される
  S27 (1952) .9.4
     戸田先生と泉田が静岡県の吉原署より釈放
  S27 (1952) .9.9
     日昇猊下より笠原慈行へ戒告文
  S27 (1952) .9.23
     笠原慈行より日昇猊下へ告訴状が届く
  笠原慈行とその背後の弁護士の企み
  S27 (1952) .9.26
     五重塔などの修復のため、一世帯あたり150円の醵出の決定
  学会の運用資金について
  質問会の意義と四衆について
  勤行について
  丑寅勤行について
  S27 (1952) .10.24〜27
     戸田先生による仙台指導
  この頃の折伏世帯数
     S27.10月 1778世帯  、  11月 2033世帯  、  12月 2010世帯
  S27 (1952) .10.31
     細井尊師より笠原慈行に対して、7時間にわたり最後の反省を促す
  S27 (1952) .11.7
     日昇猊下より宗門に対する訓諭が出され、笠原事件が終束する
  S27 (1952) .12.7
     創価学会第7回総会
  衆生所遊楽について
  S27 (1952) .12.21
     初の教学部登用試験
 (第7巻)

  『飛翔』
  S28 (1953) .1.5
     戸田先生を囲んだ新年会で中原秋雄が星落秋風五丈原を歌う
  戸田先生に星落秋風五丈原を披露する相談
  星落秋風五丈原について
  S28 (1953) .1.6
     山本伸一が男子部第一部隊長就任
  S28 (1953) .1.27
     第1回地区部長会
  第1回地区部長会での質問会
     ・指導者としての心構えについて
     ・地区を盛り上げるためには?
     ・退転者に対する指導は?
  福島の妙福寺と日尊について
  妙福寺の謗法払い (地蔵) についての顛末
  S28 (1953) .1.31〜2.1
     大阪に支部が誕生、戸田先生による支部旗授与と大阪指導
  S28 (1953) .3.26〜27
     戸田先生による仙台指導
  S28 (1953) .3.30〜31
     戸田先生による九州八女指導
  S28 (1953) .4.1〜3
     戸田先生による大阪指導
  この頃の折伏世帯数
     S28.1月 2600世帯  、  2月 3555世帯  、  3月 3521世帯
  スターリンの死去、吉田首相のバカヤロー解散
 (第7巻)

  『原点』
  戸田先生の 「原点」
  戸田先生の御義口伝講義
  戸田先生の法華経講義
  教相と観心
  生死と生命
  五老僧について
  S28 (1953) .4.19
     第1回男子青年部総会
  戸田先生の青年に対する想い
  科学と宗教
  S28 (1953) .4.18〜19
     福島・妙福寺の元檀家が暴徒化、久川住職の留守中に住職の家族が残る寺を襲う。その後逮捕され宗門追放
  S28 (1953) .4.28〜29
     五重塔修復記念大法要
 (第7巻)

  『翼の下』
  S27年12月に文京支部長になっていた田岡治子の苦悩と、そこに派遣として入った山本伸一
  S28 (1953) .4.25
     山本伸一が文京支部長代理として初めて支部の班長会へ参加、題目三遍の呼吸が揃うまで何度もやり直し
  一念の連帯と文京支部の飛躍
  S28 (1953) .5.3
     第8回本部総会
  本部総会での戸田先生の公演
     ・宗教と科学
     ・信心の畑
  S27 (1952) .10.21 (回想)
     華陽会結成
  見栄と卑屈、利口と小利口
  慈悲と愛、仏界
  結婚について
  恋愛について
  華陽会の活動
  S28 (1953) .5.31
     妙縁山正継寺 (創価学会寄進第一号寺院) 落慶入仏式
  S28 (1953) .6.10
     第2回地区部長会
  S28 (1953) .6.23
     教育者懇談会発足
  S28 (1953) 秋
     『価値論』を全国の大学に寄贈
  S28 (1953) .5.16
     文京支部総会で、戸田先生が怨嫉について指導
  婦人訓の発表
  S28 (1953) .5.24
     第3回仙台支部総会で 「真の供養」 「真の功徳」 について指導
  S28 (1953) .6.14
     第1回大阪支部総会
  利益と罰について
  S28 (1953) .6.21
     第3回蒲田支部総会
  御本尊の広まるべき「時」
  S28 (1953) .6.28
     教学部任用試験
     91名が受験し、7月21日の2次試験まで合格したのは21名
  S28 (1953) .6.30
     本部幹部会
  「長」 のあり方
 (第7巻)

  『水滸の誓』
  S28 (1953) .7.21
     水滸の誓 (43名による宣誓)
  S27 (1952) .12.16
     最初の水滸会の発足 (38名)
  安易な姿勢と惰性で中断した、最初の水滸会
  水滸会の再編成と再出発に向けた山本伸一の想い
  戸田先生の広布への全構想を残す訓練
  最初の水滸会の発足
  水滸会について、小説について
  人物を見抜くことについて
  文化とは
 (第7巻)

  『匆匆の間』
  戸田先生の日々の動き、大東商工と創価学会
  血友病の子を持つ母親への指導、業病について
  御秘符について
  会員の個別の相談にのる戸田先生
  世間法、国法、仏法について
  部落民の折伏、世間の因襲、聞法下種について
  社会に起こる差別について
  S28 (1953) .7.31〜8.4
     夏期講習会 4,500名以上が参加
  S28 (1953) .8.4
     地方折伏隊の壮行会 本譜派遣人員数66名
     成果:大阪182、名古屋65、九州83、北海道85
  S28 (1953) .8.29
     本部幹部会
     8月の折伏成果:4623世帯
  S28 (1953) .9
     聖教新聞が旬刊から週刊へ
  長野・軽井沢の地区部長の土地分譲の話に激怒した戸田先生
  学会寄進第一号寺院、軽井沢の信州妙照寺建立のあらまし
  S28 (1953) .9.30
     本部幹部会を初めて豊島公会堂で開催
     9月の折伏成果:5195世帯、うち3000世帯は蒲田支部
  S28 (1953) .11.13
     学会本部を西神田から信濃町へ移転
  S28 (1953) .11.17
     牧口先生の十回忌法要
  衆生所遊楽について
  S28 (1953) .12.21
     本部幹部会
     S28年の折伏成果:51,996世帯
  S28 (1953) .12.23
     第2回男子青年部総会で山本伸一より3箇条の宣誓が読み上げられる
 (第8巻)

  『真実』
  会員の急増に人材育成が追いつかないことに対する戸田先生の危惧
  入信した会員が実感した功徳の実証
  化学者・富田成一の病歴と入信、信仰の『実験証明』
  富田成一が九州で遭遇した列車の二重衝突事故、解雇と復職
  工場主に折伏された山川光代
  真言による背理証明、宗教の正邪
  親の信心について
  病気と貧乏について
  牧田政行の病気
  実証・法則・科学について
  金比羅と不動を信仰していた漁師、大杉克夫の入信
  27年間、T教団に貢ぎ続け、借金地獄になった水沢キヨと、その娘の入信
  ヤク中になった関本右門の入信と折伏活動
  体験による生命哲理の発見
 (第8巻)

  『推進』
  新本部建屋での日々の慌ただしい動き
  統監部による、支部が入り乱れた地方の統合と、それに伴う会員の戸惑い
  御書の校正刷りに向けた、戸田先生を囲む作業現場
  指導が行き届かず、御本尊を不敬にした家の多い地区部長への指導
  亡くなった子と親子の縁を再び結ぶことについて
  戸田先生が若い頃に直面した死についての悩み
  金融への出資による金儲けについて
  S29年に入ってからの戸田先生の多忙
  S29 (1954) .2.8
     戸田先生が講義の後、会長室で疲労のため倒れる   山本伸一の名を呼ぶ
  S29 (1954) .2.9
     水滸会の後、戸田先生と山本伸一の語り合い
  S29 (1954) .3.30
     参謀室設置  会長は山本伸一
  参謀室設置の意義を考える参謀たち
  S29 (1954) .5.3
     創価学会第10回総会  日大講堂に3万人結集
     理事長室8名の解任と新理事室4名(小西武雄、清原かつ、石川幸男、春木洋次)の発表
  S29 (1954) .5.9
     青年部30部隊5500名の登山
バスの遅れ、大雨
  前途多難を示す雨
 (第8巻)

  『学徒』
  戸田先生と学生の対話
      @法華経の智慧について
      A日蓮大聖人の3度の国家諌暁について
  渡吾郎と題目、戦後の学生生活
  東京大学法華経研究会発足のあらまし
  S21 (1946) .1.26
     東京大学法華経研究会第一回研究会   (生物学のS教授と学生5名) 
  東京大学法華経研究会の藤原明の入信
  本尊論
  無量義経をもとに、仏と生命について渡吾郎と藤原明に指導する戸田先生
  仏教と西洋哲学、大乗仏教とロンドン仏教
  東京大学生物学のS教授の破折
  S28 (1953) .4.18
     東京大学法華経研究会から戸田先生の法華経講義へ移行
  職業選択について
  東京大学法華経研究会のその後
      S28.4.18〜S30.9.27   第1回法華経講義全26講
      S32.6.30   学生部結成
 (第8巻)

  『明暗』
  ビキニ環礁水爆実験 (S29.3.1) と第五福竜丸の被曝
  各地で盛り上がる原水爆禁止宣言と署名
  平和を求める一方で、移ろい易い人間の生命の宿命
  広宣流布の活動と平和運動
  S29 (1954) .8.31
     本部幹部会
      8月の折伏成果 12771世帯
  S29 (1954) .8.5〜8.20
     戸田先生の全国広布旅
  S29 (1954) .9.4〜5
     水滸会第1回野外訓練 (奥多摩)
  戸田先生の勉学方法
  男性から見た結婚の問題
  理性と感情
  S29 (1954) .10.31
     S29.5.9の大雨の青年部登山のリベンジ  青年部1万人登山
      男女あわせて10390名の登山   大晴天
  S29 (1954) .11.3
     第11回本部幹部会  大手新聞社が初めて取材
  世間の宗教に関する無知
  S29 (1954) .11.7
     第1回体育祭「世紀の祭典」 (世田谷グラウンド)
  S29 (1954) .11.10
     長野県妙照寺落慶入仏式 (学会寄進第一号寺院)
  大阪本伝寺を建立した3人の総代の真心と苦労
  S29 (1954) .11.17
     秋田県妙華寺落慶入仏式
  S29 (1954) .12.15
     高崎の勝妙寺落慶入仏式
  自由党の造船疑獄と吉田内閣の崩壊
 (第8巻)

  『多事』
  法論闘争に負けても帰依しない坊主のずるさ
  戸田先生の、マスコミ・ジャーナリズムに対する対応
  S29 (1954) .11.3
     NHKより宗教学者と対談番組出演の申し出
  S29 (1954) .11.26
     NHKの番組として、学会本部で戸田先生と宗教学者との対談を収録
  価値創造の理念について
  宗教の実験証明
  S29 (1954) .11.28
     戸田先生と宗教学者との対談がNHKでオンエア
  S29 (1954) .12.13
     渉外部を設置   渉外部長に山本伸一
  S30 (1955) .1.1
     戸田先生の和歌  「妙法の広布の旅は遠けれど  共に励まし  共々に征かなむ」
  計算ではわからない広宣流布へのペース
  S30 (1955) .1.2
     理境坊で行われた年間行事予定の会議で奉安殿の建設を決定
  S30 (1955) .1.4
     富士駅で登山者整理にあたっていた輸送班の山之内俊彦が電車とホームの間に巻き込まれ、翌日未明に搬送先の病院で死亡
  S30 (1955) .1.9
     任務中に亡くなった輸送班の山之内俊彦の支部葬
  任務中に亡くなった輸送班の山之内俊彦の母
  S30 (1955) .2.20
     任務中に亡くなった輸送班の山之内俊彦の納骨式
     戸田家の墓に納める
  常楽我浄と生命の生死について
  S30 (1955) .1.23
     大阪総会の後の懇談会で戸田先生から、学会批判を繰り返し寺院の建て替えを拒み続けた 蓮華寺のS住職へのはたらきかけをやめて、新寺院を建立することを提案
  S30 (1955) .1.27
     学会批判を繰り返し寺院の建て替えを拒み続けた蓮華寺のS住職より学会に対し、下付した御本尊をすべて返却するよう通告
  学会批判を繰り返したS住職のあがき
  S30 (1955) .4.11
     学会批判を繰り返し寺院の建て替えを拒み続けた蓮華寺に代わる大阪新寺院の落慶入仏式
 (第9巻)

  『発端』
  S30 (1955) .2.25
     2週間前に入信し、辞めたいと言い始めた会員の家で、班長・東恵子と身延系妙龍寺の坊主が対峙、法論を確約
  小樽班の草創期
  S30 (1955) .2.26
     日蓮正宗妙照寺へ身延系妙龍寺の坊主が訪れ、3月11日の法論を約束する
  S30 (1955) .3.2
     小樽班の東班長宅で、法論に向けた誓約書を交わす
  小樽問答に向けた誓約書
  S30 (1955) .3.4
     学会本部に小樽の法論についての速達が到着、対策本部が設置される
  S30 (1955) .3.5
     学会本部から現地調査のため2名が小樽へ
     戸田先生は大石寺大宿坊の上棟式出席
  身延川の代表者・長内妙義について
  過去に起こった日蓮正宗の法論、「砂村問答」について
  本迹一致の邪義に対する破折
  「横浜問答」について
  日霑上人について
  日蓮正宗の法論における2大論点
 (第9巻)

  『小樽問答』
  S30 (1955) .3.7
     学会本部で戸田先生を中心とした作戦会議
  S30 (1955) .3.8
     秋月部隊長はじめ11名が上野を出発、10日早朝に小樽着
  S30 (1955) .3.10
     学会側と逃げ腰の身延坊主による最終確認
  法論開始ぎりぎりまで法論回避をたくらむ、かなり見っともない身延側代表
  S30 (1955) .3.10
     旭川で小樽問答に向けた決起大会
  S30 (1955) .3.11
     小樽問答 (午後7時〜  小樽公会堂)
  身延の本尊雑乱
  日興上人の身延離山について
  波木井実長の謗法
  本門戒壇の大御本尊について
  日蓮本仏論について
  法論後の北海道の会員世帯数の躍進
  法論後の身延
 (第9巻)

  『展開』
  広宣流布の、個人から家族、地域、社会、経済、政治、文化への広がりについて
  S29 (1954) .12.22
     文化部を設置  学会員の勢力分布を分析
  S30 (1955) .2.9
     54名の文化部員の任命、選挙立候補者の候補たち
  S30 (1955) .3.8
     文化部員13名の追加任命   戸田先生選りすぐりの大幹部たち
  創価学会と社会について
  学会員にとって初めての選挙活動、会員の選挙に対する最初のイメージ
  公明選挙の精神の原点
  S30 (1955) .4.3
     五大市の市議選の告示
  S30 (1955) .4.6
     小西武雄の時局講演会
  文化部のあり方について
  政治改革の歴史、権力の魔性について
  信心と選挙活動
  信心の団結で勝つということ
  政治権力の魔性と政治の頽廃
  国士と革命児
  政治と宗教
  マルクスの宗教阿片説、社会主義社会
  社会と宗教
  S30 (1955) .4.24
     小西武雄が都議選にトップ当選、森川幸二が横浜市議にトップ当選
     都議と市議あわせて53名の文化部員が当選
 (第9巻)

  『上げ潮』
  S30 (1955) .5.3
     日大講堂で第12回創価学会本部幹部会
  牧口先生の創価学会と、藤本秀之助の弾正会
  縦線から横線への転換
  大御宝蔵 (奉安殿) の新築
  御宝蔵の歴史
  S30 (1955) .5.29
     男子青年部一万人登山  10360名が登山
  雨と青年部
  戸田先生、山本伸一の体調
  「故郷に錦を飾る」とは
  S30 (1955) .6.11
     水滸会の河口湖野外訓練   83名が参加
  地方折伏の困難さ
  S30 (1955) .7.29
     大石寺で夏期講習会   2000名が参加
  生死が切り替わる「縁」とは?
  S30 (1955) .8.6
     広島原爆投下から10年   第一回原水爆禁止大会
  S30 (1955) .8.11
     浜松地区大会に戸田先生が出席し指導
  宿業と宿命転換
  S30 (1955) .8.15〜29
     最後の夏期地方折伏
     全国45ヶ所に635名派遣、本尊流布5558世帯
  S30 (1955) .8.30
     本部幹部会   8月の本尊流布世帯数28450世帯
 (第9巻)

  『実証』
  S30 (1955) .9.11
     体育祭「若人の祭典」を下高井戸の日大グラウンドで開催
  S30 (1955) .10.1
     新潟大火
  火災発生時の学会員の行動と様子
  新潟の地区部長の長部
  場所が変わっても宿命はついてくる
  増えてきた新聞、雑誌の悪質な誹謗記事
  S30 (1955) .11.3
     第13回秋季総会   後楽園球場に約7万人が結集
  S30 (1955) .11.23
     奉安殿落慶式、大御本尊御遷座式
  S30 (1955) .12.13
     創価学会関西本部落慶入仏式
  S30 (1955) .12.23
     本部幹部会  S30年の本尊流布19万4239世帯
     総世帯数が30万世帯を上回る
 (第10巻)

  『一念』
  創価学会本部常住の御本尊と、創価学会大阪本部御安置の御本尊
  山本伸一に関西を託した戸田先生
  S30 (1955) .10.14
     立候補者に内定した春木征一郎が山本伸一宅を訪れる
  S30 (1955) .10.25
     水滸会の席上で、翌年の参議院選挙の候補者5名を発表
  S31 (1956) .1.4
     山本伸一が大阪で当体義抄講義と男女青年部班長指導会
  S31 (1956) .1.5
     山本伸一が大阪で個人面接の指導、地区部長会
  舞を舞うようにして戦うということ
  戸田先生の計らいで行われた山本伸一による関西大発展の楔
  S31 (1956) .1.15
     大阪で教学任用試験
  統監部の業務
  S31 (1956) .1.16
     戸田先生が中之島公会堂で方便品講義、翌17日は顕仏未来記の講義
  S31 (1956) .1.18
     日昇猊下が勇退を発表、4月に代替わり
  信心の団結、異体同心について
  師弟不二について
  S31 (1956) .1.29
     大阪で教学任用試験の二次試験、教学を基盤とした大阪の布陣成る
 (第10巻)

  『脈動』
  S31 (1956) .2.1
     山本伸一、富井林策、上田藤次郎が学会本部で大阪の参議院選挙の作戦会議
  組織と人について
  満井勝利と龍岡巌
  S31 (1956) .2.12
     戸田先生56歳の誕生日   山本伸一と和歌を贈りあう
  S31 (1956) .2.19
     大阪、堺の連合決起大会   「闘争宣言」を発表
  信仰と選挙
  支持者拡大を押し付け、会員の心を閉ざしてしまった本部からの派遣幹部
  師弟不二について
  大阪支部に誕生した、3人の女性地区部長たち
  各地を回る戸田先生と山本伸一
  S31 (1956) .3.4
     第8期教学部員登用試験
  S31 (1956) .3.5
     山本伸一、九州の八女市へ
  S31 (1956) .3.5〜7、20〜21
     戸田先生が大阪で講義、指導
  S31 (1956) .3.24〜25
     戸田先生、月例登山会へ
  S31 (1956) .3.29
     日昇から日淳へ御座替わりの儀
  S31 (1956) .3.31
     本部幹部会> > > 山本伸一は下阪のため欠席
     この月の折伏成果19640のうち、大阪が5500世帯
  S31 (1956) .4.1
     戸田先生は仙台へ
 (第10巻)

  『跳躍』
  S31 (1956) .3.31〜4.2
     山本伸一が下阪し、4月1日の大阪・堺連合総会に向けた準備
  S31 (1956) .4.8
     大阪・堺連合総会   大阪球場に2万人が結集
  S31 (1956) .4.11
     大石寺で、本住坊、蓮成坊の増築工事落慶法要
  急伸する地域で起きた、本部からの派遣幹部と地元幹部の対立
  異体同心の団結
  堀米日淳猊下について
  S31 (1956) .5.1
     本部幹部会 (豊島公会堂)
  関西と比較されてしまう関東
  折伏精神について
  S31 (1956) .5.2
     中之島公会堂で阿倍野地区の決起大会
  阿倍野地区の佐川地区部長
  昼夜にわたって拠点を次々とまわる山本伸一の奮闘
  仕事と学会活動
  顔の美醜 (如是相) について
  S31 (1956) .5.13
     総本山で水道祭り
  総本山の水脈
 (第10巻)

  『嶮路』
  S31 (1956) .5.15
     代田不二也(青年部部隊参謀)が微罪逮捕、ほか計6人が逮捕
  警察権力とジャーナリズムによる学会弾圧の構図
  随想の現れるべき時
  S31 (1956) .5.17
     大阪の早朝講義で、山本伸一が御書を通して、難についての電光石火の指導
  代田不二也の監獄での座談会
  代田不二也について
  学会員が留置されている間、一日に250〜300km移動する山本伸一の激励の戦い
  S31 (1956) .5.25
     代田不二也釈放  この日までに6人全員が釈放される
  大阪と東京の勢いのギャップに悩む戸田先生、澤田良一の奮闘
  総本山の五重塔と、江戸時代の大名・板倉氏について
  S31 (1956) .5.31
     豊島公会堂で本部幹部会
     5月度の折伏成果29973世帯のうち、大阪支部は11111世帯でトップ
  選挙にあたって、違法行為は絶対にしてはならないという戸田先生の戒め
  学会に対する警察や世間の嫌疑と憶測
  S31 (1956) .6.29
     岡山の烏城公園で、戸田先生を迎えて一万人の野外集会、十条俊三が立候補の挨拶
  岡山地区部長の岡田一哲
  現職制服警察官による、学会推薦候補者のポスター破り事件をはじめとする、警察自らの職権濫用による選挙妨害
  S31 (1956) .6.12
     参議院議員選挙の公示日
  春木征一郎の選挙活動
  選挙が近づいて、いよいよ頻発する様々な事態
  S31 (1956) .7.8
     参議院議員選挙の投票日
  報告される数字の裏に潜む油断
  戸田先生のもとで訓練を受けてきた幹部たちの、はじめての挫折
 (第10巻)

  『展望』
  S31 (1956) .7.9
     春木征一郎が参議院に当選
  学会活動と選挙活動について (雲海の着想)
  衆望を担った政治家というもの
  学会による政治家支援の行き着く先、広宣流布が進む先にあるもの
  常勝関西
  選挙の戦いの結果をふまえた上での、組織や会合のあり方の再検討
  本山の大講堂建設への御供養に対する心構え
  座談会を形式的なものにしてしまった「2代目幹部」への戸田先生の指導
 (第11巻)

  『転機』
  戸別訪問容疑の創価学会員に対する執拗な当局の取り調べ
  大東商工の業績の好転、殆ど返済した負債
  S31 (1956) .9.5
     戸田先生が一切の事業から引退する旨を山本伸一に伝える
  S31 (1956) .9.5
     戸田先生から山本伸一へ、山口県への地方指導、折伏を提案、決定
  S31 (1956) .9.23
     第3回体育大会「若人の祭典」を、下高井戸の日大グラウンドで開催
  S31 (1956) .9.18
     牧口先生の奥様、クマ刀自さん死去 (19日通夜、20日葬儀)
  牧口先生の夫人、クマ刀自について
  S31 (1956) .9.29
     牧口先生夫人、クマ刀自の学会葬 (告別式)
  S31 (1956) .9.29
     9月度本部幹部会
  組座談会一本の方針に混乱する現場、低調な折伏成果
  S31 (1956) .10.9
     山本伸一、山口闘争の第一歩を下関に印す
  山本伸一の四信五品抄講義
  山口闘争での山本伸一の歩み
     下関、岩国、防府、山口、柳井、徳山、宇部、萩など
  信心すればするほど、酷い目に遭うと腹を立てる山口の会員、増田
  山本伸一が萩の座談会で語った自身の体験
  松下村塾について
  11月、12月も続けられた山口闘争、その正味時間の短さと成果
  S31年に起きたポーランドの暴動とスエズ戦争
  戸田先生の、宗教審議会構想と、科学による宗教評価方法
  S31 (1956) .11.18
     大石寺で牧口先生の13回忌法要
  戸別訪問容疑で起こった300件近い裁判と、公民権停止を主張する検察の異例な執拗さ
  S31 (1956) .12.18
     国連加盟記念による大赦令
  S31 (1956) .12.21
     本部幹部会
     12月の折伏成果586914世帯、この年の目標50万世帯を達成
  アメリカ留学を実現させた正木永安の体験発表
 (第11巻)

  『波瀾』
  S32 (1957) .1.18
     大石寺の大講堂建設現場から、古銭2,000枚が出土
  施政演説もできず、9週間で辞職した身延の権大僧正、石橋湛山総理
  S32 (1957) .2.25
     岸内閣発足
  学会内部での金銭貸借問題に対する戸田先生の戒め
  来る4月に大阪で行われる参議院補欠選挙の最高責任者に、戸田先生が再び山本伸一を指名
  参議院補欠選挙の候補者に選ばれた船橋部長の尾山辰造
  選挙の支援活動の根本方針3ヶ条
  青年部の関西参謀の浅田克美の交通事故
  S32 (1957) .4.7
     大阪総支部総会
  王仏冥合について
  S32 (1957) .4.21
     九州第1回総会
  S32 (1957) .4.22
     朝、参議院補欠選挙の候補者・尾山候補の名前を書いたタバコ箱がばらまかれる
     夕方、参議院補欠選挙の候補者・尾山候補の名刺付き100円札がばらまかれる
  S32 (1957) .4.23
     参議院補欠選挙投票日
  尾山辰造候補の参議院補欠選挙での落選と、学会員による選挙違反
  戦中に身延派と合同した房州保田妙本寺の日蓮正宗への帰一
  S32 (1957) .4.30
     戸田先生が疲労で倒れ、本部幹部会を初めて欠席
  S32 (1957) .5.1
     両国の国際スタジアムで春季総会
  折伏の根本精神
  S32 (1957) .5.12
     北海道第1回総会
  S32 (1957) .5.17
     アメリカ留学を実現させた正木永安の渡米
  正木永安による世界広布の第一歩
  S32 (1957) .5.19
     日本炭鉱労働組合の大会で、「新興宗教団体への対策」を行動方針として決議
  日本炭鉱労働組合による創価学会への圧力
  S32 (1957) .5.22
     大阪の参議院補欠選挙での選挙違反の首謀者を逮捕  (東京から応援に行った地区部長)
 (第11巻)

  『夕張』
  日本炭鉱労働組合が夕張で行った学会員に対する圧迫
  S32 (1957) .6.6
     青年部150名が夕張でデモ行進、信教の自由を侵害する炭労の圧迫に抗議
  S32 (1957) .6.7
     青年部6名が炭労から呼び出され、組合をやめるよう (仕事を辞めるように) に迫られる
  ユニオンショップ制度について
  夕張の一粒種、荒川正造の入信と「素直な信心」
  夕張炭田の発見
  夕張の広布拡大と、戸田先生の35年ぶりの夕張訪問
  折伏実践のためのグループ「熊隊」
  S32 (1957) .6.14
     真谷地炭労と夕張の創価学会員が懇談会、争論となる
  S32 (1957) .6.14
     北炭平和炭鉱が組合員の学会員の妻を集め、夫のクビをチラつかせながらの脅しを行う
  S32 (1957) .6.17〜19
     第10回北海道炭労定期大会で、創価学会対策委員会設置を決議
  S32 (1957) .6.23
     北炭平和炭鉱の定期大会で学会員が、5/19の北海道炭労定期大会での決議について追求
  S32 (1957) .6.27
     北海道炭労の創価学会対策委員会が学会締出し計画を全道の炭労支部に指示
     7〜9月を闘争期間と位置づけ
  S32 (1957) .6.27
     文京支部幹事の三林秋太郎が北海道新聞の支局長と炭労組合長に抗議、炭労側は公開対決を約束
  S32 (1957) .6.29
     北海道新聞社の司会で、炭労と学会の紙上討論会
  S32 (1957) .6.29
     炭労側から学会へ、公開対決の無期延期を申し出る
     応対した澤田と荒川は激怒するが、炭労側は強引に逃げ帰り
  S32 (1957) .6.29
     戸田先生の、小説『人間革命』が発刊
  S32 (1957) .6.30
     学生部結成大会
  戸田先生の、学生部に対する想い
  S32 (1957) .6.30
     大阪府警から2名の刑事が小西武雄と山本伸一の逮捕のため上京
  S32 (1957) .6.31
     札幌の旅館に北海道警察の刑事が山本伸一逮捕のため訪れるが、不在
     関久男が応対し、3日以内の身柄引き渡しを約束
  S32 (1957) .7.1
     創価学会札幌大会  1300名が結集、炭労の決議を批判
  S32 (1957) .7.2
     小西武雄が大阪府警に出頭、逮捕される
  S32 (1957) .7.2
     250名の青年部が夕張の本町十字街で市中行進
  S32 (1957) .7.2
     夕張で、炭労に抗議する「夕張大会」   炭労側も傍聴
  S32 (1957) .7.3
     北海道放送(HBC)で炭労と学会の討論会を生放送
 (第11巻)

  『大阪』
  S32 (1957) .7.3
     山本伸一が夕張から上京、戸田先生と面会しすぐに下阪、大阪府警へ出頭
  S32 (1957) .6月 (回想)
     山本伸一が戸田先生宅を訪れ、戸田先生から指導を受ける
     @広宣流布は権力との壮絶な戦いであること
     A牧口先生が総本山大石寺で、一応の神札の受け取りを決然と断ったこと
     B第六天の魔王について
     C僭聖増上慢について
  S32 (1957) .7.3
     午後7時、山本伸一が大阪府警に逮捕される
  大阪のタバコ事件の首謀者・大村昌人の信心、選挙に対する考え方、実行までの経緯
  戸別訪問が発生した経緯
  日蓮大聖人、創価学会に対する弾圧の構図
  偏頗な報道に明け暮れたマスコミの常套手段
  難と、信心の世界での淘汰について
  S32 (1957) .7.9
     大阪地検の取り調べを受けていた山本伸一を別館へ移送
     この際、手錠をかけたまま、通行人に見える通路にさらす
  山本伸一と検事のやり取り、検事が使った恐喝の手口
  S32 (1957) .7.9
     山本伸一と面会した小沢弁護士が、戸田先生と学会をまもるため、容疑を認めるよう助言
  S32 (1957) .7.10
     弁護士の助言に従い、山本伸一が戸別訪問指示の容疑を認め、嘘の証言をし、検事を納得させる
  S32 (1957) .7.10
     大阪のタバコ事件の首謀者・大村昌人が6月21日に検事と取引していたことが発覚
     (犯行を山本伸一の指示によるものと供述すれば釈放し、山本伸一も逮捕しないと検事が約束)
  S32 (1957) .7.11
     小沢弁護士が検察庁に対し、取り調べにおいて脅し、取引、約束の反古があったことについて抗議
  S32 (1957) .7.12
     山本伸一の即時釈放を求める抗議集会
     国技館に2万人が結集、場外にも2万人
  S32 (1957) .7.12
     大阪のタバコ事件の関係者41名を創価学会から除名
  S32 (1957) .7.15
     小西武雄が釈放される
  S32 (1957) .7.17
     正午、山本伸一が釈放される
  S32 (1957) .7.17
     18:00、創価学会大阪総会 (中之島公会堂)
  聖教新聞と折伏
  S32 (1957) .7.29
     小西武雄が買収容疑で、山本伸一が戸別訪問の首謀者として起訴される
 (第11巻)

  『裁判』
  S32 (1957) .10.18
     大阪事件第一回公判 (大阪地方裁判所)
  S33 (1958) .3.6
     大阪事件第二回公判
  宗教の台頭に敏感な国家権力
  戦中、大本教に対して公然と行われた弾圧
  牧口先生が受けた弾圧と、獄中での折伏
  裁判が続く中での戸田先生の死、山本伸一の会長就任
  調書取下げに向けた、青年部による事件の洗い直し作業
  S35 (1960) .12.10
     買収事件に関する論告求刑
  S35 (1960) .12.15、21
     買収事件の最終弁論
  S36 (1961) .2.27
     買収事件の判決   小西武雄に無罪判決
  S36 (1961) .3.6
     大阪事件第56回公判   戸別訪問容疑の審理を開始
  S36 (1961) .7.12
     大阪事件第70回公判
     山本伸一が、肉体的苦痛を伴う取り調べの状況と、検事による脅しがあったことを証言
  S36 (1961) .7.12
     大阪事件第70回公判で、無実の壮年の容疑者が、異常な取り調べのやり取りの詳細を証言
  公判で証言に立った刑事の罪逃れのためのでたらめな証言と、そのウソを明快に暴く山本伸一の反論
  手錠をはめたままの取り調べはしていないと主張する証言を覆す看守の証言
  S36 (1961) .11.1
     大阪事件第80回公判
     信憑性に欠けるとして検察調書47通中22通が却下、警察調書12通はすべて却下
  S36 (1961) .11.15
     戸別訪問容疑に関する論告求刑
  S36 (1961) .11.15
     戸別訪問容疑に関する弁護側最終弁論
  S36 (1961) .12.16
     戸別訪問容疑に関する山本伸一の最終陳述
  山本伸一の最終陳述
  S37 (1962) .1.25
     大阪事件第84回公判
     山本伸一に無罪判決、戸別訪問の実行犯はすべて罰金刑で禁固刑は無し
  田上雄介裁判長による判決文
  S37 (1962) .2.8
     検察が控訴を断念、山本伸一はこの発表をカイロで受電
 (第12巻)

  『涼風』
  S32 (1957) .8月
     戸田先生が山本伸一、森川正一とともに鬼押出し(浅間山)を訪れる
  天明3年の浅間山大噴火
  法難と総罰 (熱原法難、金沢法難)
  依正不二の原理と自然災害
  生涯をかけて戸田先生を顕彰しゆくという、山本伸一の決意
  S29年8月の戸田先生と山本伸一の厚田村訪問
  戸田先生の上京前夜の父母との会話
  S32 (1957) .8.18
     札幌で体育大会「若人の祭典」夕張の炭労問題の勝利を宣言
  S32 (1957) .8.20
     夕張支部結成、夕張興隆寺建立
  夕張支部結成大会の会場探しに奔走する三林
  折伏弘経もせず、学会批判をする日蓮正宗の僧侶
  第六天の魔王について
  夕張興隆寺落慶入仏式の挨拶で僧侶に釘をさした戸田先生
  S32 (1957) .8.20
     夕張興隆寺落慶入仏式後の宴会で、山本伸一が「霧の川中島」を歌う
  川中島の合戦について
 (第12巻)

  『宣言』
  S32 (1957) .8.30
     宮崎県日向地方の7ヶ寺が日蓮正宗に帰一
  妙本寺派定善寺について
  妙本寺派の正宗への帰一までの経緯と定善寺住職の小原日悦師について
  米ソの核軍拡競争
  「絶対悪」としての原水爆
  S32 (1957) .9.7
     戸田先生が自宅で原水爆禁止宣言の草稿を練る
  S32 (1957) .9.8
     東日本青年部体育大会 「若人の祭典」 (三ツ沢陸上競技場)
  生涯の終焉を予感する戸田先生
  S32 (1957) .9.8
     戸田先生が東日本青年部体育大会の閉会式で、第一の遺訓として 「原水爆禁止宣言」 を発表
  魔について
  死刑制度について
  S32 (1957) .9.25
     葛飾総ブロック結成   総B長に山本伸一
  組織の中心者を決める上での注意点
  模範のブロック
  勤行の姿勢について
  勇気について
  葛飾総B長としての山本伸一の奮闘
  本部を求める心について
  再開された朝の授業 「戸田大学」
 (第12巻)

  『憂愁』
  戸田先生に九州総支部長に指名された石川幸男
  S32 (1957) .10.4
     ソ連が人類初の人工衛星打ち上げ成功
  S32 (1957) .10.13
     九州総支部長結成大会   九州総支部長に石川幸男
  S32 (1957) .10.14
     日昇上人 (前法主) 遷化
  日昇上人について
  S32 (1957) .10.28
     戸田先生が、人事権を理事会に一任
  S32 (1957) .10.31
     10月度本部幹部会    折伏成果23256   総世帯数72万5千
     今年の目標80万を75万へ変更することを発表
  公安庁、または警視庁による学会の調査
  戸田先生の死の予感
  S32 (1957) .11.9
     第17回秋季総会
  マスコミの的外れな批判に対する学会としての態度について
  外部の有識者との対話
  戸田先生の半生
  S32 (1957) .11.18
     牧口先生の第14回忌法要
  戸田先生の衰弱
  S32 (1957) .11.20
     広島へ出発しようとした戸田先生が倒れ、医師の診察を受ける
     肝硬変による腹水、黄疸、糞便潜血などを確認
  S29年2月から続いていた戸田先生の体調の変化
  S32 (1957) .11.23
     堀日亨御隠尊猊下が遷化
  日亨上人の功績
  S32 (1957) .12.10
     戸田先生の腹水がほぼ全快
  S32 (1957) .12.16
     第16回男子部総会   戸田先生は欠席
  S32 (1957) .12.17
     戸田先生宅を訪れ、75万世帯達成の次の目標の指示を仰いだ山本伸一に、
     戸田先生から、次の7年で200万世帯を達成したいという遺言を託される
  更賜寿命と医学
  戸田先生の願業・75万世帯を達成
     会員数3000人当時の宣言から6年7ヶ月
  永遠の三指針
     @ 一家和楽の信心
     A 各人が幸福をつかむ信心
     B 難を乗り越える信心
  S32 (1957) .12.25
     本部幹部会   75万世帯達成と永遠の三指針を発表
  戸田先生の人生の回顧
 (第12巻)

  『後継』
  戸田先生の最後の講義指導「三妙合論について」
  S33 (1958) .1.1
     約40日振りに本部にやってきた戸田先生を中心に新年勤行会、初登山
  S33 (1958) .1.26
     男子第44部隊長の大野英俊が踏切で事故死
  事故死した大野英俊の上司で組織の先輩である藤川について
  名聞名利を欲しがる幹部
  横死 (不慮の死) と三世の宿命
  S33 (1958) .2.10
     山本伸一があと7年で300万世帯の達成を戸田先生に誓う
  7年を区切りとした学会の難
  「田原坂」 (たばるざか) の歌について
  戸田先生が聖教新聞に寄せた闘病記
  S33 (1958) .3.1
     大石寺本門大講堂落慶法要
  信心利用、組織利用の禁止
  滝本欣也の社会人としての姿と、学会幹部としての姿のギャップ
  S33 (1958) .3.8
     首相から、3月16日に大石寺に参詣したい旨の連絡を受ける
     この日を広宣流布の予行演習の式典と位置づけ、準備を開始
  豚汁の準備
  車駕の準備
  S33 (1958) .3.16
     朝、首相から参詣中止の連絡
  S33 (1958) .3.16
     青年部登山会    首相の家族と前建設大臣を迎えての歓迎会
     広宣流布の模擬試験・予行演習    (広宣流布記念の日)
 (第12巻)

  『寂光』
  戸田先生の読書、「十八史略」について
  戸田先生の世界広布の願い
  S33 (1958) .3.22
     戸田先生の布団を囲んで理事室と参謀室の連合会議
     組織利用の幹部の解任と、役職待遇制度の廃止を決定
  S33 (1958) .3.24
     戸田先生の病状がすべて治まっていると診断される
  S33 (1958) .3.25
     組織利用を行った幹部46名の解任を発表
  酔った所化頭による小僧虐待
  戸田先生の最後の指導  「追撃の手をゆるめるな!」
  S33 (1958) .3.30
     戸田先生が総講頭に任命される
  S33 (1958) .4.1
     未明に戸田先生を大石寺から東京・駿河台の病院へ移送、入院
  S33 (1958) .4.2
     18時30分、戸田城聖逝去
  S33 (1958) .4.3
     戸田先生の納棺
  S33 (1958) .4.8
     戸田先生の告別式、出棺      参列者12万人
  S33 (1958) .4.19
     学会本部で戸田先生の最後の通夜
  戒名について
  S33 (1958) .4.20
     戸田先生の学会葬 (青山葬儀場)      25万人が参列
  「大楠公」(青葉茂れる桜井の) の歌について
  戸田先生の学会葬
 (第12巻)

  『新・黎明』
  戸田先生逝去後のマスコミの報じ方
  七つの鐘構想
  S33 (1958) .5.3
     七つの鐘構想を発表
  山本伸一に会長に就任してほしいという小西理事長の願い
  S33 (1958) .6.30
     山本伸一が 「総務」 に就任    全学会の責任を負う
  諸宗の寺院の、学会員に対する嫌がらせ (墓地問題)
  会長のいない学会、小西理事長の不安
  昭和33〜35年の創価学会
  会長就任を懇願する理事たちと、それをきっぱりと断る山本伸一
  S35 (1960) .3.30
     小西理事長が山本伸一に会長就任を懇願    山本伸一は辞退
  S35 (1960) .4.9
     山本伸一の会長推戴を理事たちで合意
  S35 (1960) .4.11
     理事会で山本伸一に会長就任を懇願、回答は保留
  S35 (1960) .4.12
     山本伸一が会長就任を辞退
  S35 (1960) .4.13
     小西理事長と原山理事が山本伸一に会長就任を懇願
     4時間半にわたり説得するが、回答は保留
  S35 (1960) .4.14
     全幹部の要請として山本伸一に会長就任を懇請
     一旦断るが、説得に応じ承諾
  S35 (1960) .4.19
     緊急全国代表幹部会    山本伸一の第三代会長推戴を発表
  師弟の道
  創価学会の原点
  牧口先生と戸田先生の師弟関係
  S35 (1960) .5.3
     第22回春季総会 (両国・日大講堂)
     山本伸一が創価学会第三代会長に就任

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